中国占術思想をイントロ&メドレー『道(タオ)』 |
[ 2008/05/15 ]
たとえば...
中国の伝説的な瑞獣(ずいじゅう)龍や麒麟など。
三国志の有名な武将、関羽が神様になってなり。
パワーストーンだったり、ヒンズーの神がいたり。
このまとまりの無さを消化できない人も多くいるのでは?
『道』のとらえ方がわかれば、そこら辺が整理されるかも。
※…ここで言う風水とは化殺風水(カサツ)のこと
■『道(タオ)』は老子の以前からある
『無極』の前、ことの一番根源を『道(タオ)』といいます。
この『道』という存在ですが、道教の開祖:老子から始まったのかと言えば、当然そうではありません。
以前から存在していたし、人々も漠然と認識はあったけど、明確な名もなかった。...そこで名付け親になったのが老子さんでした。
この『道』の理解ははっきり言って多岐多様にわたっています。
現代の解釈もさることながら今日に至るまでの注訳も、解釈の違いが織り交ざっているといわれます。
深い理解が必要な方は以下のサイトが役に立つかもしれません
道教の深い解釈にはとても参考になりそうです。
残した言葉数の少ない老子、表現方法に難がある荘子。
両方の言葉を比較、補完させつつ、道教に対する理解を深めていこうというサイトです。(スゴイ)
まだほとんど読んでませんので、読ませていただきま〜す。
■『道(タオ)』を分かりやすく
なんて、無理(爆)。←後から追記
平たくいえば『道』は、西洋で言うところの『神』といっても間違えはありません。
ただし、それは非常に平たくいってのことです。
道教では、あえて『神』という言葉を避けて『道』と呼ぶのです。
両者とも、『究極的原因』には違いがありません。しかし...
西洋の『神』は人格的存在であり、原因者、絶対者であり、全知全能性が最前面に出ています。
それゆえに、神という言葉、全知全能という言葉に、『理知』がぼかされてしまいます。
また、西洋の一神教と違い、道教は多神教だから、かえって『神』という言葉をつかうと本意がズレます。
第一原因が何個もあったら変でしょ(・ε・。)ォィォィ
それに対して『道』のとらえ方はもっと厳密であって、理の追及があるように思えます。
『道』からみると、人格・精神も、物質・現象も、原理・真理も、原因・結果、過去も未来も、それら全ての原因として包括している存在なのです。
人が『道』と名付けようとも、結果的な存在である人間が認識している『道』の一側面でしかない。
この世には存在と非存在(存在しないこと)があり、それは『道』からはじまったのだから、『道』は存在ともいえれば、非存在とも言える。このような『道』を存在である人間が認識することはできないのだ。
人間が『道』と呼ぼうと、結果的な存在である人間の範疇で名付けた名前であって正しいとは言えない...けど名前を付けないと呼べないから、仮に『道』と名付けた...ということなんです。
以下、がんばって分かりやすいように作りました。
両者の違いがお分かりになるでしょうか?
...え?字がキタねぇよって?
『道』の視点から見たとき、我々が住んでいるこの世界...というのは非常に小さい範囲の話なんです。
■道教の目的、それは『道』とひとつになること
道教の究極的目標は、この『道』とひとつになることです。(仙人がその近道だか何だか)
世の中にある森羅万象...様々な事象は、『道』の現れ、『道』の多様性の現れだと考えます。
それ故に、道教は様々な宗教を取り組みを推奨し、『道』への理解を推奨します。
しかし、何もしらない我々にとったら、何のポリシーもない、ごちゃ混ぜな宗教のように感じてしまうのです。
化殺風水の『理知的側面』『伝説的側面』には、この背景を組んでいるので、多種多様なアイテムを使ったりするんですよ。
多分ですが。
でもこんな深い思想があったんですよ〜。
■補足
ここでいう『神』の捉え方も偏っているかもしれません。
実際、聖書には神が、『わたしはアルパであり、オメガである』(はじまりであり、おわりである)
という内容があったり、『私はあってあるものだ』原因結果を超えた存在?
ということがあるのも知ってるからです。(小学校の時にそれ系のマンガにはまりました)
ただ、あまりここら辺の話はあまり重要視されて話されないですよね。

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